究光塾リポート

第二十四回 究光塾リポート

2018年09月12日

< 第二十四回 究光塾 講義概要 >

 

1.      課題図書『数学受験術指南』 総評 

    ~ リベラルアーツの重要性 ~

2.      マネジメント講義

3.      論語

4.      次回までの課題 ご説明 

 

 

【講師 中村より お伝えしたこと 抜粋】

 

☑ リベラルアーツの重要性 

今回の課題図書『数学受験術指南』 どうしてこの本を読んでいただいたかということを、すべて挙げるとキリがないんですけれども、特にこのあたりが、私が皆さん方にこの本を読んでいただこうと思った意図なんですよ、というところを確認していきたいと思います。

これまでの究光塾を通して一貫してお伝えしている「リベラルアーツ」の重要性というところから、哲学であったり、そういった内容も考えておったわけですけれども、今現在、皆さん方に哲学というものを勉強していただいても、哲学そのものを勉強していただくことになってしまう、「それではあまり意味がないなぁ」と考えていました。哲学の定義というのはいろいろあるんですけれども、一般的に、共通して、学者さんがおっしゃっている哲学とは、すなわち「ものごとの本質を考える」こと、簡単に言えば、そこに行き着くのかなぁと思います。そもそも哲学というのは、たとえば、なぜこのお茶(=受講者の皆様にお出ししたペットボトルの麦茶)がここに存在するのか、というようなことを考えること・・・、たとえば、暑い時期には利尿作用がない、水分が体内に収まるような飲み物である麦茶のようなものが好まれる、ということがあるから麦茶を置いている、では、なぜ水分を体内に留まるようにするのか、というようなことをどんどんと考えていくわけなんですね。また、そもそもどうしてお茶がこんなペットボトルに入っているのか、といったように、いろいろ角度からものごとを考えるというのが、そもそもの哲学だということであります。

そして、どうしてリーダーにリベラルアーツが必要なのか?と言うと、リーダーはいろいろ角度からものごとを見ていくことが私は重要だと思っていて、いわゆる「専門バカ」という言葉がありますが、自分たちの業界からしかものごとを見ない、自分が知っている世界からしかものごとを見ない、というのでは、これは何もリーダーに限ったことではなくて、そういったことでは、これからの人生自体が非常に厳しいだろうし、そういった方には厳しい世の中になっていくのではなかろうか・・・と、あくまでも私がいつも思っているところであります。じゃあ、2018年のこの時代だからか?と言うと、そうではなくて、皆さん方に読んでいただいた課題図書『失敗の本質』『失敗の本質 戦場のリーダーシップ篇』のとおりです。あの時代であっても、結局は、視野が狭かったりとか、専門的なことだけしか知らなかったり、知ろうとしなかったりすると、結果的に失敗するんですよ、ということでありました。ですから、いつの時代であっても必要とされることなんですよ、ということをまずはご理解をいただきたいと思います。それが、私が『失敗の本質 戦場のリーダーシップ篇』を課題図書として、二回、取り組んでいただくようにお願いしたところでありました。そして、これらに続く課題図書として取り組んでいただくものを考えた時に、哲学の本にすると、皆さん方は真面目なので哲学自体を勉強しようとなさるだろうと・・・、それは私の意図するところではありません。

 

私は、今まで、基本的に全て、自学・独学・我流でやってきています。宅浪をした大学受験も含めて、私自身あまり他人に教えていただくというのが・・・、他人に教えていただくというのは、もちろん様々なことを他人さまから学ばせていただいてきたのですが、例えば、「これこれ、この勉強を誰々から教えていただく」というような経験がほとんどなく来ています。コンサルティングについても30歳で独立をしていますので、誰かが教えてくれたわけでもなく、勤務時もコンサルティング会社は教育もしてくれませんから、じゃあ今、私が大学で喋っている講義の内容であるとか、いろいろな企業さまにお邪魔して喋っている戦略やマーケティングやマネジメントの話というのは、どこで勉強したかと言うと、全部、自前で勉強してきたに過ぎないわけなんです。そうやって勉強してきたなかで、ある哲学者の方が書かれた書籍の中に、今回の課題図書『数学受験術指南』が出てきて、それで私はこの本を読んでいただくのが良いのではないか、というふうに考えたわけなんです。

 

もともと私のなかには、「数学というのは答えのあるものを導き出す」というようなイメージがありました。でも、たまたま仕事で、数学科を卒業された方とお話をする機会をもったんです。一人は京都大学、もう一人は大阪大学の数学科を卒業された方です。つまり「数学」という学問を勉強した人、そういう方とお話をしてみて、私の数学に対する認識が変わりました。その方は、「お酒を飲みながら数学の問題を解いているときが一番楽しい!」と言うわけなんです。私としては、最初は、訳がわからないわけです。私のなかには、「そんなの、答えを導くだけなのに・・・なんでお酒を飲みながら?・・・」とか、「逆にシラフの時の方が良いんじゃないの?」とか、そういう感想が出てきて、それを伝えると、「いやいや、そうじゃなくてね・・・」というお話から、「数学というのはこういうものでね・・・」ということを教えていただきました。

その話を聴いて、そもそも私が思っていた数学というのは「計算」に過ぎないなぁ、ということに行き着いたわけなんです。だから私は実際には「数学」どころか、「算数」の勉強もしたことがないなぁ、所詮は「計算だったなぁ」というのは、何かと言うと・・・。決まった方程式とか公式に数字を当てはめて計算をしていただけ、単に九九を覚えていただけ、私は学生時代にアルバイトで進学塾ではなく学習塾の講師をしていましたが、その時も数学については、「これはどういうことなんだろう?」と、解答から遡って、「これをどうやって生徒たちに説明したら良いのだろう?」「どうやって説明したらこの解答を納得してくれるだろう?」というようなことをやっていたに過ぎなかったわけなんです。私は、今、コンサルティング活動で、財務のこともお話しますけれども、それでも「数学」や「算数」は使わなくて「計算」をしているだけ、こういうふうなことなんですね。私が数字を扱っているというのは、所詮は「計算」でしかないですから、Excelに数式を入れれば全部解ける問題であって(そこから財務自体は少し考える要素はあるんですけれども・・・)、そもそも「数学」というものについては、私は何も勉強したこともなければ、数学というもの自体を知らないんだなぁ、と以前から思っていた部分がありました。

そして、森毅さん、この方も数学者であります、この方の書いた本を読むと、「数学というのは、こういうものなのか」と認識できましたので、皆さん方にもこの本を読んでいただいた、こういうふうなところがあります。私自身が「数学」というものに対して全くの認識違いをしていた。「数学」どころか「算数」すら勉強したことがないということに行き着きました。この課題図書『数学受験術指南』について、もちろんのことですが、受験指南ということをお話したいわけではありません。結局、数学というものは、上述したように、もともと私も答えを求めるもの、答えを求めることが数学だと思っていたのですが、「答えのないことを求めていく」「答えのないことを考えていく」というのが本来の数学の姿なんです。

 

これも、ぜひ見ていただければ・・・と思うんですが、『ドリーム』という映画があります。1960年代のアメリカ、NASAで働く黒人女性、NASAがロケットを飛ばすときのお話なんですけれども、当時、黒人女性はものすごい人種差別を受けているんです。そういう時代背景の中で、黒人女性で、大学院まで出た、数学の天才といわれる人たちが、当時はまだIBMのコンピュータが導入される前ですから、人間がロケットの軌道計算を担っているんです。そこで、ロケットの軌道計算をしていくんですが、そのときのセリフとして、「ああ、これじゃ、わからない。新しい公式を使わないといけない。新しい公式を考えないといけないわ・・・」と言いながら仕事をしているんです。何かというと、ロケットを飛ばして、どの角度で大気圏に突入すれば良いかということを、誰も公式を生み出していない時代に、彼女たちは、どういう角度で大気圏に入ると、燃えることなく大気圏を突破して海に落ちるか、ということを自分たちで計算式を考えだして計算をしているんです。これが本来の「数学」なんだろうと思います。誰も答えを生み出していないものを、自分たちで計算式を考えだして計算するというのが本来の「数学」なんです。

 

何が申し上げたいかと言うと、我々がやっている仕事であるとか、経営というものも、一切答えは無いわけです、絶対的な答えなんて無いわけなんです。で、実は、答えのあることを考えるということ自体が、我々が生活している中ではないんじゃないの?ということなんです。テレビのクイズ番組は別です。でも、テレビのクイズ番組で正解できる人、それをして食べていける人というのは、せいぜいクイズ王と言われる方くらいで、じゃあ、そういう方が日本に何人いるんですか?ということなんです。ですから、私たちは答えのないことを結局は自分で考えないといけない。ましてや、人生や、仕事というものは、(本来の「数学」とは言えないレベルの)計算をするように、公式や方程式や定理に数字を当てはめて何かできることってありますか?ということなんです。

 

 

そして、「どうしてリベラルアーツというものが必要になってきているか?」ということを、さらに考えていただくために、課題図書として、次に読んでいただくものを設定しました。

今、銀行や保険会社で大リストラが始まっていますね。今や、これらの金融業界においても、定型的な仕事はコンピュータがやるから、その代わり、営業に行ってお客さんを作ってきて、仕事を作ってきて、と言うふうになっているんです。まだ私が社会に出て25年くらいです。25年前に、当時、花形の就職先とされていた銀行や保険会社において、将来こうした大リストラがあるなんて全く予想をしていませんでした。バブルが弾けた時でも、リーマンショックの時でも、まだ、ここまでの銀行員の仕事(定型的な仕事)がなくなっていくという状況の予測はなかったです。私の感覚ですが、ここ5年くらいではないでしょうか。

いろいろな本を読んでいると、これまでの25年・30年の変化よりも、これからの10年・15年の変化の方が劇的に変わるだろうと言われています。多分そうなんだろうと思います。私自身のことを考えてみても、子供の頃の10年間と、30台から40台での10年では明らかにスピードが変わっています。そして、40台から50台への、この10年というのは明らかにものごとの動きが早いです。だって、iPhoneが世に出て10年くらいです。iPhone Xって言っているくらいですから・・・。皆さん方、もっと以前からあるように思いませんか? でも10年前は、皆、まだ、パカッと開く携帯電話を使っていたんです。そして、これからの5年・10年はもっとスピードが速くなると思います。インターネットという言葉が使われ出したのは、私が26、7歳位だったと思います。そこから安価で誰もがインターネットに繋げる、繋がるようになるには、やはり15年ぐらいかかっています。どうしてスマートフォンがここまで一気に広まったかというと、インターネットの価格が安くなった、誰でも何処でも繋がりやすくなった、そういう環境が整ったということなんですね。同様に、AIに代表されるようなシステムについても、これから大手がどんどん使っていくようになると、どういうことが起こるかというと、大手がどんどん使ってくれることによって、安価で市場に出るようになります。そうすると、組織が小さいところでも、そういったシステムを導入できるようになってきます。これも、私が28,9歳くらいの時、当時ボーナスも少なかった頃、家でどうしても仕事をしないといけないということで買ったパソコンが30万円しました。今、30万円も出したら、ものすごいスペックのパソコンが買えると思います。しかも、当時の30万円のパソコンよりも、今のスマートフォンの方が全然優秀だと思います。

 

逆に、人間がAIに仕事を任せれば、人間の生活が豊かになるんじゃないか、人間の仕事にもっと余裕ができるんじゃないか、こういうふうにも言われているんですけれども、残念ながら、それはないと私は思っています。

それを示唆する内容が、前述した『ドリーム』という映画の中で描かれています。黒人の女性がずっと計算をしてきていた部署に、IBMのコンピュータが導入されるんです。そのとき、彼女が、「じゃあ、私たちの計算部門はどうなるんですか?」と投げかけると、白人の上司は、「あなたたちは、要らなくなるね・・・」って言うんです。1960年代の話です、「コンピュータが入れば、人力で計算する人は要らなくなる、だからあなたたちの計算部署は解散ね」というくだりがあるんです。

でもそこで、計算部署の管理者の黒人の女性は、コンピュータの勉強を始めるんですね。そうすると、IBMのコンピュータもNASAですから、当時の一番性能の良いコンピュータが導入されるんです。すると、だれもコンピュータの使い方がわからない。で、どういうことになったかと言うと、コンピュータの勉強していた黒人の女性の管理者が、その部署の責任者になるんです。当時の時代背景からは、考えられないことだと思います。ですが、コンピュータを使うことができる人間に組織も頼らざるを得ないので、その黒人女性はトップになる、そして、彼女の部下たちも、コンピュータを勉強していたので、その部署の仕事にありつくことができる。そして、その何年か後に、黒人への差別がまだ続いている頃に、その部署に配属されてくるのが白人の人で、白人が黒人の部下として働く、こういう風な場面が出てきます。映画は1960年代のお話ですが、おそらく普通に、今の時代でも同じことになるんだろうと思います。まだ当時は、人間がアナログで働くという仕事が残されていましたけれども、これからの向こう何年かで、どんどんそういう仕事はなくなっていく、と言われています。私もちょっと恐くなってきています。

それでも私は、人間というのはちゃんとそうした環境にも適応していく能力があると思っていますし、「だから難しい勉強をしましょう」ということが申し上げたいわけでもありませんし、「経営の勉強をしてください」ということが申し上げたいわけでもありません。まだAIにはできないことというのが私も次の課題図書を読んで分かったんですけども、AIには案外当たり前のことができないということ、私自身もAIに対する認識が間違っていたというのがその本を読んでわかりました。そして逆に、私が究光塾で申し上げていることというのも、そんなにズレたことは申し上げていないなぁ、と言うこともある程度確認ができました。そういうことで、皆さん方には、次の課題図書にお取組みいただきたいと思います。

 

こう考えていただいて良いと思います。今後は、たとえば肉体的なことをするにしても、答えのないことを考えられる人でないと、肉体的なお仕事に就くことはできなくなっていく、AIに代替されていくということ。そして、なぜ、例えば、哲学とか、数学とか、美術とか、自分と直接関係のないことも勉強しておかないといけないのか? もちろんお仕事と直接関係のあることではないかもしれません。でも直接関係のないことをいろいろと考えるから頭の中が刺激を受けて、それによって今まで目の前に現れたことでないことにも対応ができる、こういうことがリベラルアーツの重要性だと私は思っています。

 

また他の観点として、これまで私が、リベラルアーツの重要性を皆さん方にどのようにしてお伝えしたらいいんだろうか?と試行錯誤し、いろいろな本を読んできたなかで、「この本は皆さん方にお読みいただくまでもないなぁ」とか、おこがましいですが、「皆さん方に読んでいただくにはまだちょっと早いかなぁ」というような本の中に書いてあったことなんですが、「自分の意見と全く反対の意見を持っている人の本を読む」ということがありました。例えばですが、右翼の思考の人だったら左翼の方が書いている本を読むとか、自分の仕事のことを批判的に捉えている人の本を読むとか、自分と全く違う・自分とは180度違う観点・視点を持つ人、自分の価値観とは全く逆の価値観を持つ人が書いた本を読むということが刺激になる。また逆に、自分自身の思い込みに気づかせてくれる。・・・ただですね、人間、誰しもそう、私もそうなんですが、結果的に自分の読みやすい本、興味や関心の高い本、私であれば、AIとか、「ものごとを考える」ということばかりの本を手に取ってしまうわけなんですけれども・・・。でも、敢えてそういうことをすることが視野を広げたりとか、結果的にリベラルアーツというところに繋がっていくと述べておられる方もいらっしゃいます。

 

これも、よく経験することなんですが、私も、お仕事を通して、相手の方に、「これは、こういう風にしたほうがいいですよ」とか、「御社では、こうしておかれた方がいいですよ」と申し上げることがあります。そうした時に、相手の方がよくおっしゃる言葉として、「いや、中村先生が仰っていることはよく分かるんですが、そうおっしゃってもね、先生は我々の業界のことをあまりご存じでないですよね、我々の業界ではね・・・」という反応をいただくことがあります。このような言葉に反映される、自分たちの思考が及ぶ範囲内だけで何か自己完結しようとする、そういうふうな思考を持っていると、残念ながら、これからはさらに厳しくなると思います。なぜなら、今は、いろいろな業界の垣根がなくなってきているんです。そうすると、「我々の業界はね・・・」と言っている時点で、既に自分たちで自分たちの行動範囲を狭めてしまっているんです。それをなくしていかないと、逆に自分達から打って出ていく、ということもできない。そういった気づきを与えてくれるのが自分たちの業界と全く反対にいる人であったり、自分たちが持っている価値観とは全く逆の価値観であったりするんですね。ですから、「昔は、あの会社は、なになに屋さんだったよね」と思われていたところでも、今、全く違うことをやっておられる会社もたくさんあります。そういった会社というのは、敢えて「我々の業界ではね・・・」という思考や発想を持たなかったからこそ、できたんだろうと思いますね。

 

心理学的にも、「あなたの言っていることは、わかるんですけれどもね・・・」と言う人は、変わる気がない人だと言われています。ひとつに、自分に自信のある人は目標達成が得意です。そのかわり、自分に自信があるがために何かを変えるということが苦手だと言われています。「今のやり方で良いじゃないか、これで俺はやれている」となってしまう。逆に、「今の自分のままではあかんなぁ」という人は変わることが得意です。そのかわり、ややもすると、ころころコロコロ自分を変えてしまう可能性がある。そして一番酷いのが、自信過剰な人です。この人は目標も達成しないし、変わりもしない。「そんなん、目標達成なんてする必要はない、それでも俺はやっていける」という思考で変化もしないというのが自信過剰な人です。今の時代で一番怖いのは自信過剰な人だというのは間違いないですね。アメリカの心理学者が研究結果として、きちんとしたデータを出しています。そういう人の特徴としては「いや、あなたの言っていることは、わかるんですけれどもね・・・」と、自分への反対意見を聞こうとしない、自信過剰な人がそういう態度を取る傾向があると言われています。

 

 

☑ 「共感」と「同情」 

一般的に言われている「共感」と「同情」との違いは、例えば、足の怪我をしている人に対して、「あなた、大丈夫ですか?怪我をしていますね・・・」と、相手に対して感じるだけのもの。例えば、友人Aが大失恋をしたとしましょう。その友人Bが、「Aも可哀相に・・・、まあ、でも俺には彼女いるし・・・」と思いながら、Aに対して、「大丈夫!女の子なんて星の数ほど居てるから・・・」と言うのが「同情」です。相手に対して感じるだけのもの。「あなたは、大変だと思うけれども、私は大丈夫、私は平気だよ」というのが「同情」です。一方、「共感」というのは、例えば、傍から見ていて、ものすごく辛い経験をされた方に対して、自分も同じように辛い状態になって涙を流しているような状態、それがいわゆる「共感」ということです。

視点としては「同情」というのは、いわゆる向かい合っているイメージなんです。「あなたの仕事大変ですね、でもそういうことは僕には関係のない苦労だけれども・・・」 これが「同情」です。一方、「あぁ、そうですか、あなたと私は全然違う種類の仕事だけれども、あなたの抱えていることは、私に例えて言うと、こういうことかなあ、ああ、それは大変だよね・・・」と、一緒に辛さを共有する、これが「共感」ということであります。「共感」というのは読んで字のごとく、「共に感じる」ということです。相手と一緒になって、辛さを共有したり、悲しさを共有するものです。もちろん、喜びや楽しさも共有することであります。人間というのは、「他人の不幸は蜜の味」という言葉もあるように、他人が喜んでいたら嫉妬心というか、そういう感情も湧いてきたりするわけですけれども、それが本当に相手のことを想って、その人と一緒になって喜べたら、それは「共感」ということになる、こういうことであります。

ですから、組織内でどちらが必要なことかと言ったら、言うまでもないことですよね。組織内で、組織の人たちとコミニケーションを取るときにどちらの方が重要か、当然お客様とも「同情」よりも「共感」できる方が良いわけです。なかなか難しいことではありますけれどもね。

 

そして、本当に「共感」しようと思うと、相手の話をしっかりと聞くということ、いわゆる「傾聴」することが必要になります。「同情」というのは、どちらかというと自分の想像とか、自分の思い込みとかで、「この相手は、こういう風に考えているんだろうな・・・」というのが「同情」なので、「傾聴」する必要はないわけなんです。でも、「共感」というのは、本当にそうなのかどうなのか、ということを確認するという作業がないと、「共感」はできない訳であります。ですから、同じように涙を流しているから、じゃあ「共感」しているかと言うと、もしかすると全然違うポイントで泣いている可能性もあるわけなんですね。そうすると、それは全然「共感」にはなっていないということになります。「共感」というのは同じ方向を向いているイメージです。だから嬉しいことも一緒に喜べるし、一緒に悲しいことも一緒に悲しんでいる、こういうことであります。

逆に言うと、「共感」できない人というのは、「傾聴」もできていないということです。「共感」ができたり、「傾聴」ができたりする人が、どうしてその人のことを、その人の話を一生懸命聞こうとするかと言うと、その人のことを理解したい、理解しようと思うから一生懸命聴けるわけなんですね。で、その人のことを理解すればするほど「共感」の度合いも高まっていく。でも、「共感」することができず、「同情」で終わってしまう人というのは、「かわいそうやね・・・」ということで、ややもすると、「上から目線」になっている。

 

これは、お坊さんが書いておられたことだったと思いますが、子供に対しても、「よくできたね、偉かったね」と言うのはダメなんだそうです。これは「上から目線」なんだそうです。そうじゃなくて、「私も嬉しいよ」、自分の子供であれば、「お父さんも嬉しい!」、他人さんの子供だったら、「おじいちゃんも嬉しい!」と言うのが、同じ目線になっているということなんだそうです。ですから「褒める」ということ自体が「上から目線」、いわゆる「評価をしている」ということになるんだろうと思います。

「褒められたら嬉しい」というのは、結局、褒められるために行動を起こすことに繋がるのであって、本来は他人を喜ばせるような働きを自ら起こすということが人間には求められるわけじゃないですか、そうでしょう。それがややもすると、他人を喜ばせる目的が、他人を喜ばせることを通じて自分が喜ぶのか、それとも他人を喜ばせることの奥にある目的として自分が褒められたいから、というのでは意味が違ってくる、と思います。「他人がどんな評価をしようが、自分は一生懸命これをするんだ、これをすることで僕自身が嬉しいんだ」というのが、あるべき姿なわけですね。

 

以前の講義のなかでお伝えしたように、部下の指導育成では「褒める」ということが大事な部分もあるんですけれども、あくまでもこの「共感」という観点でいくと、「褒める」というのは、どちらかと言うと「同情」に近しいものになる。たとえば、子供におつかいを頼んだときにでも、「よくできたね」と言うと、これは「上から目線」なんです。評価を受ける「この人に褒めてもらいたい」となると、子供は、他人の顔色ばかりをうかがうようになる。ですから、「ありがとう、助かったわ」と言うほうが良い。「効力感」という、いわゆる、他人の役に立つ、他人の役に立っているなぁ、ということが子供の喜びになるわけなんです。子供さんの純粋な喜びにしようと思うと、周りの大人たちがそういう風なアプローチをすることが必要になってくるということ。逆に、お子さんが自発的に他人を喜ばせる行動ができないというのは、周りの大人がそうしてしまっているという観点もあるというのは、私は納得できる考え方なのかなぁと思いますね。

「他人を喜ばせることによって自分が嬉しい」という「共感」というものを身に付けた子供というのは、逆に、本当に自分が評価されるためじゃなくて、「この人がどうしたら喜ぶんだろう」「どうしたら本当にこの人は喜んでもらえるんだろう」ということ、本当に相手のことを考えられるような思考になっていく。他人から褒められることを目的としていませんから、そうすると「共感性」というものが高まり、「傾聴力」が高まると言われているんです。相手のことを知ろうと思うと、超能力でもない限り、相手の話を聴かなれれば、わからないわけですからね。

ですから、相手が聞いてほしいことを聞いてあげる、そういうことが「共感」に繋がることになってきます。北野武さんが言っておられたことで、昔、本で読んだことなんですけれども、「本当に困っている人に対しては、アドバイスをするよりも、まず、その人の話を聞いてあげることが大事なんだ」ということを書いておられました。そして、その相手が求めてきたら、「こうしたら・・・ああしたら・・・こう考えたら・・・」とアドバイスをして差し上げることが大事なことなんだろう。これも、やはり相手の話をまず聴くというプロセスがあるから「共感」ということに繋がっていくんだろうと思います。

 

 

☑ ボディランゲージ 

 

「足を組む」・・・

人間が足を組むと行為というのは、基本的には相手との間に「壁を作っている」と言われます。電車などでも、隣に仲の良い方、彼女や親しい方がいらっしゃる場合と、隣に酔っ払いとか、関わりたくないなと思う人がいらっしゃる場合には、足の組み方、クロスする足の向きが変わってきますね。

正面で話をするときでも、相手が足を組んでいる時というのは、相手は壁を作っているということです。本当に相手の話を聴こうと思っているときには足は組んでいないと思います。足を組んでいるときは、相手の話に集中できていないことが多いです。ですので、営業系の会社などでは絶対にお客様の前で足を組まないように、部下に厳しく躾をしている会社が昔はよくありました。

 

「腕を組む」・・・

こういった研修などでは、腕を組んでいただいてもいいですよ、と私はお伝えしているんですが、普段の議論であったり、例えば、話をしているときに、皆さん方の部下にあたる方が腕を組み始めたとすると、これは危険信号です。例えば、皆さん方が財布を落としたとしましょう。鞄の中を見たら財布がない、「あれっ」と思うわけですね、「どこで落としたかなぁ?」と、大体、腕を組んで考えるわけです。この時というのは、自分の頭の中に意識を集中させて、「まず、あそこに置いてあって・・・」「あそこで財布を出して・・・」と、自分の内に意識を集中させて考えているときに人間というのは腕を組む。つまり、相手の話を聞きながら腕を組んでいる時というのは別のことを考えているということです。たとえば、「次に何を言おうか・・・」などと考えていて、あなたの話をしっかり聴けていません。だから、話題を変えるか、時間を変えたほうが良いと思います。余程、能力の高い方でないと、相手の話を聴きながら、自分の意識を内に向けて考えるというのは非常に難しいことだと思います。

例えば、電車通勤をしている方なら、よくわかっていただけると思うんですが、「足を組んで」「腕を組んで」「耳にイヤホンをして」としている人は、完全に自分の世界に入りたい人なんです。他人がたくさんいる中で自分だけの世界に入りたい。でも、夜遅い電車なんかに乗ると、お酒で酔っ払っている人というのは、足も腕も放り出して寝ておられますね。お酒というのは脳を麻痺させますから、自分の空間を作ろうとも思わなくなる、他人のことは関係なく自分のことしか考えられなくなるから、ああやって無防備な状態で寝れるんですね。

 

「貧乏ゆすり」・・・

これは一つの説になりますけれども、喧嘩が強いとかっていうことではなく、攻撃的な人間か、守備的な人間かを判断する一つの手段として、人間というのはストレスがかかったとき、攻撃的な方というのは他人に殴りかかろうというのが無意識に反応として出るので、例えば、運転をしていて緊張すると手に汗をかく。攻撃的な方というのは汗をかくと言われています。これは、発汗することによって、手の動き・腕の動きを良くして、いつでも攻撃できるようにしておくという反応だという説があります。もう一つ、貧乏ゆすりも、貧乏ゆすりをする方というのは、どちらかと言うと守備的な方で、その場に居たくない、早くこの場から立ち去りたいから、足を動かす準備をしているという説があります。

つまり、腕を組んで、足を組んで、貧乏ゆすりをしている人には、もう何を言ってもあかんと言うことです。

 

 

☑ 論 語 

「八佾篇」 

林放、礼の本を問う。子曰く、「大いなるかな問いや。礼はその奢らん与りは寧ろ倹せよ。喪はその易めん与りは寧ろ戚せよ」

< お伝えした内容 >

è  お祝いごとは、奢らず分をわきまえ質素にすべき。

お悔みごとは形式にこだわるよりも真心や哀悼の意を大事にすべき。お悔みごとは、ややもすると、生きている者の自己満足のようなものになることもあるが、むしろ亡くなった方が喜ぶようなものにすべき。

 

 

子曰く、「君子は争う所なし。必ずや射か。揖譲して升下し、而して飲ましむ。その争いや君子なり。」

< お伝えした内容 >

è  立派な人は争いごとをしない。やるとしても弓を射るくらいであろうか。その際でも、勝った負けたで一喜一憂するのではなく、礼を重んじ、勝者を称える。

è  『不争の徳』(老子) 本当に力のあるものは、いたずらに人と争わない。

è  『戦わずして勝つ』(孫子の兵法)

è  『競争戦略』は、いかに戦わないかを考える。競争しないための戦略を考えるのが競争戦略の本質である。強み・魅力がないから、競争に陥らざるをえなくなる。『差別化戦略』は、同じフィールドで戦うことを避けるために差別化をはかる。

 

 

 

子、太廟に入りて、事ごとに問う。或ひと日く、「孰か人の子、礼を知れりと謂うか。太廟に入りて事ごとに問う」。子これを聞きて日く、「これ礼なり

 

< お伝えした内容 >

è  事ごとに一つひとつ確認をしながら、慎重に行なうのが「礼」というものである。

è  「どうしたら良いですか?」ではなく、「こうしておいて良いですか?」「これで間違いないですか?」というように自分の答え・考えを持ったうえで聞くこと、確認することが大事である。

 

 

▼ 次回までの課題ご説明

1.「受講報告書」について

ご上司に報告書を提出し面談のうえ、サインをいただいてください。

この報告書の目的は「上司とコミュニケーションを取っていだだくこと」です。

究光塾開催の翌週の月曜日(9月3日)を最終納期でお願いいたします。

 

2.「振り返り」をメーリングリストにて、直接、全メンバーに送信してください。

平成30年9月2日(日曜日 23時59分59秒)を期限として送信をお願いいたします。

①   本日の内容から得たこと 

②   (今月の参加により)取り組むことと決めたこと【エクセルファイル】

「顧客の増加を前提とした売上の増加」を実現するための

     1.組織レベルの業務に直結するもの

     2.1の取組実現に必要となる自己の取組課題

③   その他(感想、質問、講師について等、自由に。ただし必須)

 

3.ご自身に対する他の受講メンバーからの『相互フィードバックシート』のコメントへのフィードバック(返信・回答)

についても、上記2同様、9月2日(日曜日 23時59分59秒)を期限でお願いいたします。

 

4.平成30年10月21日(日曜日 23時59分59秒)提出期限の課題について

A)    『読後リポート』

課題図書は、『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』 東洋経済新報社 新井紀子(著) です。

B)    上記課題図書に関する 「自己の成長」と「顧客の増加を前提とした売上の増加」に繋がる課題と解決策の検討(3項目)

C)    これまでに設定した取組課題【エクセルファイル】についての進捗状況・振り返り

取組課題【エクセルファイル】は、2種類です。

①     課題図書から抽出した「自己の成長」と「顧客の増加を前提とした売上の増加」に繋がる

課題と解決策(3項目)

②     (今月の参加により)取り組むことと決めたこと

      「顧客の増加を前提とした売上の増加」を実現するための

      1.組織レベルの業務に直結するもの

      2.1の取組実現に必要となる自己の取組課題

 

 

 

< 第二五回 究光塾へ続く・・・ >

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