2018年01月14日
1.読後レポートと取組み課題 相互フィードバック
2.講義
3.論語
4.次回までの課題について
課題図書 『ムハマド・ユヌス自伝(上)』『ムハマド・ユヌス自伝(下)』の「読後及び取組課題レポート」に対する他のメンバーからのフィードバックコメントに目を通したうえで、受講者本人からコメントを発表していただきました。
【各受講者からのコメント発表を受けて、講師 中村よりお伝えしたこと(抜粋)】
たとえば、今までのアパレルメーカーというのは、自分達で流行・はやりというものをつくってきたわけです。それで自分たちの売りたい商品を売っていく方法を採ってきました。その辺りを変えていったのが、いわゆるファストファッションと言われるようなところで、まずは少量を市場に出してみて市場での反応・売れ行きを見て対応していくことをしています、自分たち発信で「こういうものが良いですよ」ということではなくなってきているというところがあります。
確かに、メーカーなど他者が作り出したものに乗っかって、思考を止めてしまうと楽な部分はあると思います。けれども、やはり自分の頭で考えることをしないといけない。そうしないと他との差別化ができなくなってしまうからです。データに乗っかってやると、みんなと同じことをやることになってしまうわけなんです。「この冬はこういう色合いだ」「こういう素材だ」と言って、皆と同じものを扱っていたら・・・それは大手の戦略としては有効です。でも、中堅中小企業・小規模企業がそこに乗っかっていっても絶対に大手には勝てないんですね。
そういう観点でいくと、自分たちは何を提供していくのか、ということを自分たちの頭で考えることをしないといけないのだろうと・・・。決して、マニアックなものを提供していかないとダメ、ということではなくて、大手や大手に次ぐような企業が提供するものと、自分たちは何を変えていくのか、を考えるときに、あまりにも盲目的にデータというものに乗っかってしまうのは危険だということなんです。今、神戸製鋼とか東レとか、いろんなところで不正が表沙汰になっているように、日本の大手の、それはもう名立たるメーカーが不正を行っているように、彼らが自分たちにとって都合のよいデータを発信していないという保証はどこにもないんですよ、ということなんです。ノーベル経済学賞をとったハーバード・サイモンという学者は、情報というものには限界があるという内容の言葉を残していますし、また、『バカの壁』の養老孟司さんも、データは所詮過去のものであると言っています。今後、中堅中小企業・小規模企業が生き残っていこうと思うと、そうした思考の罠に陥らないようにしていくこと、「本当にこれで良いのかな?」「本当にその通りなのかな?」という観点を持つこと(全部を全部、疑い過ぎることも良くないんですけれども...)が必要なんだろうと思います。
AIによる機械化の波は想像を超えるペースで進んできています。たとえば我々の仕事においても、アイパッドを使って研修ができるシステムが開発されたんです。で、実際に運用されているんです。アイパッドが音声認識をしますから、アイパッドを使って、まったくの素人がインストラクターとして、新入社員研修を完結させることができるようになってきてるんですね。それを私が、「そんなもん、アイパッドになんか負けるか。俺がしゃべった方が良いわ」と言ったとしても、皆さん方は「うんうん」とお世辞でも言ってくださるとは思いますが、「いやいや、アイパッドで十分です」と言う人がこれからおそらく増えてくると思います。そうすると、「対面でないと嫌だよね」と言ってもらえるようにどうするか?ということを我々としては必死になって考えていくしかないんです。
たとえば塾の業界なども、我々の世代では塾に行く人の方が珍しいくらいだったんです。それが、今は子どもの数は減っていますが、皆、塾に行くようになったので何とか維持できています。でも、私が大学生のころにアルバイトでやっていた塾の講師と比べたら、今は、授業の質はもの凄く高いことをやって、逆に時給は我々の時代の半分くらいになっていると聞きます。かつ、大手予備校であれば、今は衛星予備校などといって、有名な先生の授業を通信で受講する方が良いよね、となっているわけですよね。だから、そういうことが、あたり前の文化としてなっている人たちが世の中に出てくると、「アイパッドの研修で良いですよ」とか、「人にやってもらわなくても機械がやってくれるサービスで十分ですよ」と言う人も増えてくると思います。
今はまだ「新入社員研修だから運営可能だ」と言っているのが、今は、AIが80億試合の棋譜データを取り込んで、将棋の名人に勝つ時代です。もっと高度な階層の研修であったとしても、経営に関する何千冊の文献データをAIが取り込んでしまえば、その状況に応じて必要なことをAIがしゃべるようになるんじゃないか、もう実現はできるんだろうな、ということを感じます。
そういうことから言うと、「人間にしかできない仕事しか残らない」とか、「5年後10年後になくなる仕事」というのは、当初言われていたレベルを超えて、本当にとんでもないことになるんではなかろうかと思いますね。わざわざ京都から電車賃を使って先生を招いて、「中村先生、研修お願いします」ということを、いつまで言ってもらえるんだろうか、という危機感を私自身が抱いているわけなんです。
で、もちろんのことながら、そういったことを全く悲観しているわけではなくて、これもよく言われるように、たとえば、昔、馬車で馬を御していた人が、自動車の時代になって運転手という仕事が出てきたというように・・・。ただし、そこにおいても、自動車という新しい技術をコントロールできるだけの柔軟性を持ち合せていなければ、そういった革新にも乗ってはいけないということになっていくんだろうと思いますね。
いくら周りの人間が、いろいろなことを言ったとしても、本人に変わる気がなければ変わりません。本人が、「変わりたくない」と先に決めてしまうと、結局、変わらないための言い訳とか方法ばかりを思いつくということです。結局、人間というのは、自分で自分の行動を規定していますよ、ということです。
行動を変える人・行動が変わった人というのは、その本人が自分自身で「これではあかんな」と思ったから変わったのであって、周りの人間が何を指摘したとしても、その本人が「うるさいわ」と思って聞く耳を持たなければ違う選択肢を取ることもできるわけなんです。本人が、自分で、「これではあかんな」「変えなあかんな」と思うというのは、周りの人間が何かを言ったからというよりも、本人がそれを認識したに過ぎないわけです。だから周りが言ったとしても本人が変わろうと思わないと変わらないし、逆に、周りが何も言わずとも変わる人は変わる、ということ、いずれにしても自分のことは自分で決めていますよ、というシンプルな話だと思います。
たとえば、人は「申し訳ございません」と言うことがありますが、本当に申し訳ないと思っている人は、次の行動を変えます。一方、「申し訳ございません」を、その場を凌ぐための言葉として使っている人は行動を変えません。皆さん方の経験に照らしていただいてもそうでしょう。「ごめんなさい、本当に申し訳ないです・・・」と言う人は、つぎの行動を変えようとする、当然、それでもうまくいかないこともありますけれども、それでも何とか変えようとしている、こういうところに違いがあると思います。それは、「申し訳ないことをした」ということを自分で認めた、自己を否定した結果なんだろうと思います。で、「本当に申し訳ないことをした」と思って行動を変えていれば、すぐに結果は出ずとも、いずれ結果が出て変わっていく、こういうことだろうと思います。
こういう言葉がありますので、紹介しておきますと・・・
つらいことが多いのは、感謝をしないからだ。
苦しいことが多いのは、自分に甘えがあるからだ。
悲しいことが多いのは、自分のことしか分からないからだ。
心配することが多いのは、今を懸命に生きていないからだ。
行きづまりが多いのは、自分が裸になれないからだ。
「つらいことが多いのは、感謝をしないからだ」・・・どうしてつらいのか、周りの人間がどれだけ自分のことを支えてくださっているか、というところに目を向けたら、それもつらいとは思わない。周りの人たちが自分に対して投げかけをしてくれているんだ、と思うと、ものごとの捉え方って変わるのかもしれません。
「苦しいことが多いのは、自分に甘えがあるからだ」・・・甘えるな、とは言いませんが、皆、苦しいのは苦しいんです。自分だけが苦しいということはないと思います。
「悲しいことが多いのは、自分のことしか分からないからだ」・・・皆、悲しいこととか、大変なことを抱えながら、日々、生活しています。皆、それぞれ、自分に応じた悲しいこと、大変なことを抱えていますよ、ということ。
「心配することが多いのは、今を懸命に生きていないからだ」・・・今、一生懸命にやっていたら、そんな先のことを煩うことはない。どうして子どもの頃は、そんな先のことが気にかからなかったかと言ったら、今の生活で必死になっていたわけじゃないですか。で、やっぱり将来を変えようと思ったら、今、必死になってやるしかない、今、必死になることでしか良い将来って訪れないわけです。また、今、必死になれていない人が環境を変えたからといって将来が変わるかというと、なかなかそれは将来が変わるということにはなっていかないだろう、と私は理解をしています。
「行きづまりが多いのは、自分が裸になれないからだ」・・・自分自身が裸になれないから、行き詰まりも生まれてくるということでしょう。
我々は、いろんな側面から、ものごとを捉えるようにしないといけません・・・どうしても人間は目の前にある状況を、自分の都合に応じて解釈しようとする、自分の都合の良いようにものごとを見ようとするものなんです。これは、カクテルパーティー効果と言って、人間というのは健常者であれば、実際、いろんな音が耳に入ってきているわけです。たとえば、今、この部屋に居る場合でも、屋外で自動車のクラクション音が鳴ったりする・・・でも、今、必要ないと思った音は耳に入れず、今、この場で、私がこうしてしゃべっていることだけを皆さん方は耳に入れているわけなんです。これは、目にするものも同様です。
人格者、立派な方というのは、自分にとって都合の悪いこともきちんと耳に入れて、自分にとって都合の悪いことも目に入れて、そして、いろんなものごとを判断していく、こういうことができる人が、本当の人格者なんだろうなぁと、最近、思うようになってきました。そのうえで、中村天風が言うように、感情の起伏がないというようなことができる人が凄い方なんだろう、と・・・。だから、そういう人は判断を誤ることがない。
一方、未熟な人というのは、自分にとって都合の良いことしか見ない、自分にとって都合の良いことしか聞かない。そういう人だから、ものごとの判断を誤って、世の中の荒波に呑み込まれてしまうということがあるのかなぁ、ということを最近、つくづく感じるようになってきた次第です。
マネジメントの体系的な概念を学習していただくため、他の受講者の方々とグループ討議をしていただきました。グループ討議では、個人の意見を発表したうえ、グループの統一見解を出すことをお願いしました。グループの統一見解については、多数決で決定するのではなく、各自が自分の意見を根拠を持って発表し、グループの統一見解を導き出していただくようにお願いしました。
「為政篇」
子曰く、「君子は器ならず。」
< お伝えした内容 >
è 「器」とは、「器物・機械などの一部」の意味合い。
è スペシャリストよりもゼネラリスト。専門バカではダメで、総合的な力を身に付けるべき。
子貢、君子を問う。子曰く、「先ずその言を行いて、而る後にこれに従う。」
< お伝えした内容 >
è 言おうとすることを、まず実行してから語ること。
これは、まさに「知行合一」ということ。
子曰く、「君子は周して比せず。小人は比して周せず。」
< お伝えした内容 >
è 人格者はいろいろな人々と広く交流を持つ。
ダメな人は自分にとって都合のよい人だけを選り分けて交わる。
è 悪い環境に身を置かないように努めている人は立派であるが、
もっとも凄い人は、「清濁併せ吞む」ことができ、
それでいて「悪魔のささやき」には耳を貸さないような、
自分のなかにブレない軸を持っている人だと言える。
子曰く、「学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆し。」
< お伝えした内容 >
è 他人から教えてもらってばかりで自分の頭で考えることをしなければ知識は身に付かない。
自分の頭だけで考えていて他人から学びを得ようとしなければ独善的になってしまう。
ご上司に報告書を提出し面談のうえ、サインをいただいてください。この報告書の目的は「上司とコミュニケーションを取っていだだくこと」です。究光塾開催の翌週の月曜日を最終納期でお願いいたします。
3日以内の送信をお願いいたします。
① 本日の内容から得たこと
② 先月の『本日の参加により取り組むと決めたこと』 の振り返り
③ 今月の参加により取り組むことと決めたこと
顧客の創造を実現するための
1.組織レベルの業務に直結するもの
2.1の取組実現に必要となる自己の取組課題
④ その他(感想、質問、講師について等、自由に。ただし必須)
課題図書は、再度、「ムハマド・ユヌス(下)」とします。
1)「読後リポート」 1,600文字以上(必須)
2)課題図書を活用した「三つの課題と解決策の検討」
ひとつの課題につき、
①課題、②実行方法、③達成手段、④目的、⑤期日を明確にしてください。
⑥前回設定した課題の振り返りもお願いします。
課題として設定した内容のもととなった課題図書内の文章を抽出・抜粋してください。
課題として設定した理由を明確にしてください。
課題の表現については、「6W3H」「SMART」の観点を用いて設定をしてください。